物語にしないという抵抗

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京都アニメーションに対する放火事件が起こった。死者の数は34人と平成以降後最悪の死者数を出す放火事件となった。とても悲しい事件ではあるが、個人的に必要以上に反応しないように心がけている。


なぜならば反応しないことこそが同じような事件を起こさない最大の予防策だと考えるからだ。
この世の中には、理論的には説明不可能なただ理不尽なだけのものが確実に存在する。このような偶発的な悪意にさらされてしまった事件に対しては、偶発的であるがゆえに再現が困難でありその予防を企てる事は難しい。例をあげると、見知らぬ他人が旅行先で理由なく突然殴ってきた場合のことを考える。この場合、はじめての場所で見知らぬ人間から殴られると言う可能性はゼロではないものの想定することは難しく予防はほとんど不可能である。このほとんどありえないようなリスクに対して予防を行うとということはコストが見合わない(言いかえるなら、そのようなことまで用心を行うと何もできなくなってしまう)。

 

 

 

そして原因の考察が有用であるのは、似たような事件の予防を行える場合だけである。
それどころか、過剰な原因の考察、犯人像の分析などを行うことによりこの事件を大きな物語としてしまうことは、模倣犯を生む危険性がある。物語の登場人物になれていないと考える人間が、自分の人生の意味を持たせるために、自分の人生を物語とするために事件を起こす可能性があるからだ。

 

事件の繰り返される報道、考察、犯人像の分析などは誰のために行われているのだろうか?誰が望んだのだろうか?誰が物語を作りたいと思っているのだろうか?なぜ、物語にしようとしているのだろうか?
よく、考えたほうがよいと思う

ハックされ続ける大衆

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昨日は

潮目が変わりつつある。 - Way to spin the fragment

比較的肯定的に最近のメディア環境をとらえた。だが実は、私の本心は別のところにある。

 

今回吉本の芸人2人が闇営業を行っていた件で私が最も驚いたのは、1つの会見や、一つの発言で大衆の攻撃、擁護する方向が180度変わることである。これではまるでゲームである。とゆうか実際に、事件の本質とは関係なくどちらが大衆を味方につけられるのかというゲームにやっているのだと思う。

 

このDAIGOさんの動画をみて欲しいのだけれど、心理学について詳しいDAIGOさんがベタ褒めするくらい彼らの会見は理想的なものであったらしい。

宮迫さんの謝罪会見【心理学的に解説】〜敵を味方に変える謝り方 - YouTube

 

一つの可能性ではあるが、この謝罪会見の裏に謝罪方法のコンサルトのような人がついていたのではないだろうか?

我々は一般に一人の人間の意見よりも、多数の人間の意見の方の集合の方が正しい可能性が高い、ロバストであると考えている。この考えをベースにしているのが民主主義だ。

 

しかし、アメリカ大統領選のケンブリッジアナリティカの例を考えるに集合の意見は、適切方法を使えば、個人の意見よりも容易にコントロールし得る(恐らく、SNSで個人同士が緩く繋がっていることがよりコントロールをより容易いものにしている。言いかえるなら、個人の意見の集合よりも、緩くつながっているアメーバのようなものの方がコントロールしやすいということ)。

現在はこの理屈に気づいたものがゲームに勝ち続けている状態だと思う。

 

我々は、我々自身の意思や意見が容易にハックされうる時代に生きていること(とくにSNSを使っている場合は!)を自覚し、それを見越した社会制度を作るフェイズに来ているのではないだろうか。

 

 

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潮目が変わりつつある。

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ジャニー喜多川さんがなくなった途端に、SMAPのテレビ出演に対してジャニーズ事務所が圧力をかけていた疑いがあると公正取引委員会が動き出したり、闇営業を行っていたとされる吉本のタレント2人が謝罪会見を独自に行った途端、立場が逆転し吉本側が叩かれたり、以前ほど芸能事務所が力を維持できなくなっているのではというふうに感じる。


日本の社会の大きな問題の1つはマスメディアが権力を監視できないことにある。この原因についてはいくつかあると思うのだが、芸能事務所がテレビを通じて歪みの一因となっている可能性が高いと思う。


芸能事務所が力を失うことでこの歪みが是正され、マスメディアの権力の監視機構としても機能を得るのではないかと密かに期待している。

我々は一人で歩きだしたのか?森博嗣ユニバースの完結作としてのWシリーズ。

今回はWシリーズの魅力を語るの最終回としてS&M, V, 四季, G、百年シリーズを含めての完結作としてのWシリーズの魅力を語りたいと思います。ということを書こうと思ってグダグダしていたら、WWシリーズが出ちゃったよwwwめげずに書きます。ちなみにwwシリーズ第1作「それでもデミアンは一人なのか?」は相変わらず最高に面白いです。

それでもデミアンは一人なのか? Still Does Demian Have Only One Brain? (講談社タイガ)

それでもデミアンは一人なのか? Still Does Demian Have Only One Brain? (講談社タイガ)

 

 


以下ネタバレ全開です。

 

 

 

第一回で述べたように、Wシリーズは森博嗣ユニバースの最新作にあたり、時系列的にも最も後の物語になります。
で、これまでのシリーズを超簡単に要約すると
「真賀田四季という天才が色々やってた」
ということになります。

 

この色々やっていたということがシリーズを通してのポイントなのですが、この色々やっていたことについて各人がそれぞれに思考を巡らしているわけです。真賀田四季というのはまぎれもない天才であり、彼女がやることには必ず意図があると皆考えています。ですので、その思考を理解することで世界で起こっていること、これから起こることを理解しようとしているようと作中の人々(の一部)は必死なわけです。それは、あたかも神の啓示をまつ信者のようにも見えます。ここで面白いのが、シリーズを通して読むと読者もその構造に飲み込まれるということです。S&Mシリーズや、Vシリーズでこそそのテイストは控えめですが、中心となるエピソードで真賀田四季は決定的な役割を果たします。Gシリーズはシリーズを進めるに連れ、Gシリーズのエピソードそれぞれが真賀田四季が作ったグループ(または彼女を慕う人々が自主的に作ったグループ)が何らかの意図を行っている工作や行動の断片を見ているとうこと読者を気づきますし、百年シリーズなんて超ザクッと言うと真賀田四季が作った遺跡のようなものを主人公たちが訪問をする話です。

 

 

ですので、シリーズを通しての最大の謎は「真賀田四季は何をしたのか?なにをしようしているのか?」になるわけです。
ですの、「人間のように泣いたのか?」のクライマックスでのハギリの

 

「これから、どうなっていくのでしょうか?」僕はさらに尋ねた。「人工知能は、人間社会にとって、どんな存在になるのですか? 博士の共通思考とは、どのような未来を想定しているのですか?」

「人類と人工知能の未来が、私は心配です」僕は言う。

 

という質問は読者の声の代弁でもあるわけです。
それに真賀田四季は華麗に切り替えします。

 

「私は、料理が冷めないか……」マガタは、まだ微笑んでいる。「そちらの方が心配です」

と。おいおい、また煙に巻かれちまったよwとという感じですが彼女は続けます。

 

「一流の料理人は、どの料理がどれくらいの時間で冷めるのかを計算して、また、客がどんな順で料理を食べるのかにも気を遣っているものです」マガタは、 澱みのない口調で話した。「けれど、 厨房 から料理を出してしまったら……」そこで、彼女は両手を広げて、上に向ける。「もうできることはありません。予想をしても無駄。考えて心配しても無駄。しばらくあとになって、返ってきた器を見ることがせいぜい。では……、そんな彼にできることとは、何でしょうか?」

そうか、もっとさきを見る、ということですか?」僕は言った。「あ、そうか……、明日の 献立 を考える。その準備をする。そういうことですか? でも、それくらい、一流の料理人なら、もう決めていますよね?」 「そうでしょうね」マガタは頷く。 「では……、もっと別のことを、考えるしかない。もっと楽しいこと、もっと自分に相応しい仕事はないか、そんなことを考える。別のことで一流になろうと、転職を考えている。違いますか?」 「先生は、せっかちでいらっしゃる」マガタは言った。「簡単ではありませんか。一流の料理人なのですから、なにも考えたりしません。ただ、ぼんやりと、月夜の空でも眺めましょう」

 

つまり、そういうとなのだと思うのです。真賀田四季は(恐らくは世界がよくなるように)、さまざまな活動を行った。Wシリーズの時点ではその活動は一定の成果をあげて、終了しており、その結果を見守ってる状態。そして、これから先の世界の行く末については真賀田四季自身にも予想がつかない状態だと。しかしこれは、ある意味登場人物と読者に対する裏切りのようにも思えます。なぜなら、彼女は全てを計算づくで、全てを知っていると思っていたから。彼女にとっての未来とは設計するものであり、偶然に身を任せたり、どうなるかを観察するようなものでないと信じていたから。
この気持をハギリが代弁しています。

 

いったい、僕たちはこれから何をすれば良いのか。  
導かれたい、と思っていた。誰もがそう思っているだろう。  
しかし、天才は手を差し伸べてはくれない。

 

僕はここでアーサーCクラークの幼年期の終わりを思い出しました(というか、Wシリーズ自体が幼年期の終わりのオマージュというか、アンサーみたいなものだと思います)。
 


何と言っていた?  
彼女の言葉を、思い出した。  
そして、僕は立ち上がった。  
そのまま前に歩きだした。

 

 

ハギリは一人で歩かねばならなことを自覚し、歩きだします。
Wシリーズの一作目に「彼女は一人で歩くのか?」に繋がる綺麗なクライマックスだと思います。

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最後に、少しだけ。一人で歩いていた人類がどうして、何とかやってこれたのか?wシリーズ内(9作目「天空の矢はどこへ?』)で言及しているシーンがあります。私の最も好きなシーンですので、そこを最後に引用しようて終わりたいと思います。

 

これは、この地球環境にもいえることだ。
よくも暴走せず、多くの生命が絶滅せず、生き長らえたものである。
奇跡としかいいようがない。  
この世に神はいない。幸運だった、と神に感謝したいところだが、そうではない。僕が想像できるのは、ほんの小さな個人の小さな意思が、そのときどきで判断し、小さな悪を避けた結果だろうということだ。

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Hitbox とCPTのコントローラに関する規制について思うこと。

前回の記事

s-s-satoc.hatenablog.com

でヒットボックス風コントローラーワークショップに参加した記事を書いた。今回はそれに関連してヒットボックスとCPTのコントローラーに関する規制について思うことを書いてみようと思う。

 

そもそも多くの人にとってCPTとはなんぞやと言う事から始めなくてはいけないと思う。CPTとはカプコンプロツアーの略で格闘ゲームの世界で最も大きな1連の大会の集まりのことである。今回そのCPTに新たなルールが追加された。これは、コントローラーについての規制を定めたものである。逆に今まで、コントローラーに関する規制がないにも等しいということも驚きではあるが。それだけコミュニティの良心によって大きな間違いが起こらず運営が行えていたのだと思う。

 

そもそもヒットボックス自体は新しいデバイスではない。前作ストリートファイター4の頃からヒットボックス自体は存在していた。しかし現在に至るまで大きな注目を集めていなかったように思う。

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Hitbox社性のhitbox

 

しかし、今回主催者側が新たにルールを定めることになった経緯は、有名プレイヤーがヒットボックスを使いその有用性を配信に流したのがの始まりである。
その配信を皮切りに、様々な議論が巻き起こり異例とも言えるスピードで新たなルールが整備された。

 

競技である以上公平性を保つためにルールを定める事は必要である。そして今回の主催者側のルール整備までの動きの速さは評価されるべきであると考える。しかし、私はそのルールが少し厳しすぎるのではないかと感じている。もう少し具体的に言うと、今回のルールでは、移動ボタンを4つまで、基本的にはレバーと移動ボタンの併用を認めない、攻撃に使用するボタンは8つまでと言うふうに定められているが、移動ボタンは6つまで、レバーと移動ボタンの併用を認めこの2つを併用した場合追加できる移動ボタンの追加は2つまで、攻撃に使用するボタンは10個まで認める位の緩さで良かったのではないかと考えている。

 

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EVO2017の会場の様子 参加者全員が楽しんでいる

新たに定められたルールでは、基本的には1つの動作に使用するボタンは1つまでとなってしまう。これでは今まで行われてきたプレイ上の動きしかできないだろう。
それにボタンやレバーの配置も市販されているものと大きく変わらなくなってしまうと思われる。それではつまらない。
そこに、すぐには使い道が思い浮かばない無駄なボタンを絶妙な”遊び”として入れることによって今の我々が考えもつかないような、操作方法やプレイが生まれるのではないかと期待しているのだ。

 

当然スポーツである以上(スポーツを目指す以上)、入力方法は均質化しプレイヤーの技量のみを競うべきであると言う反論も考えられる。

しかし以前にも書いたように、私は格闘ゲームコミュニティーの最大の魅力は異文化の交差点であることだと考えている。日本ではそれは主にオタクとヤンキー(ストリート)だったが、海外(米国)ではそれに加えてデイカルチャーも加わっていたように思える。私は一度だけ、Evolution(世界最大の格闘ゲームの大会。毎年7月にラスベガスで開かれる。参加資格は特になし。ど素人でも参加可能)に参加したことがあるのだが、そこで驚いた事はプレイヤーがそれぞれにカスタムをした自分用のコントローラを持っていたことだ。そのようなコントローラーの中には、どのように使うのか想像ができないようなもコントローラーもあった。そこで感じた事は、コントローラーを作ることも含めて参加者が楽しんでいるのだということである。

 

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今回のCPTの新ルール制定は(ストリートファイターと言う1種目ではあるが)、えもすればそのような作る楽しみを奪いかねないものである。交差点に入る道の1つを自ら塞いでしまうのはもったいない。

そして想像してみて欲しい、エボリューションやCPTの決勝で一見して使い道のわからないようなコントローラーを持参した新しいプレイヤーが、見たことのないようなプレイでレガシープレーヤーをなぎ倒す場面を。そんな光景を見てみたくないだろうか。?私は見たいなと思う。

だからこそ、私の大好きな遊びが決めた新しいルールに少し”遊び”が足りないのではないかと心配してしまうのだ。

 

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*追記 EVOのカスタム文化について触れた良記事があったので、リンクを貼ります。

jp.ign.com

Hitbox風アケコンワークショップに参加してみた

タイトルの通りHitbox風アケコンワークショップに参加してみました。あくまで個人の感想なのでそこのところよろしくお願いします〜

figeve.livedoor.blog

 

Hitboxというのは主に格闘ゲームに使われるコントローラです。
現在の格闘ゲームの入力方法はアケコンと言われる写真のようなもの(昔のゲーセンは皆これで対戦していた。)PS4などに付属しているパッド、そしてその他の勢力に別れます。

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アケコン


Hitboxはその他の勢力に属するコントローラなのですが、その中でも最近存在感をだしているといった立ち位置です。

 

 

今回はその新勢力のコントローラを実際に作ってみよう!というワークショップになります。
最近ダークソウルにハマりすぎていて(sekiroが面白すぎたのが悪いんや…)、格ゲーは全くやっていなかったなのですが自作大好き&超近所でやるとのことで参加することにしました。

 

 

場所は東洋学園大学。開催日には、TOEICの試験をやっていました。
俺は若干遅刻してしまったのですが、主催者のみなとさん(若くてイケメン)、が下に迎えにきてくれておりました。みなとさんは土日に対戦会なども主催しているらしいです。

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東洋学園大学

 

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 会場には男女合わせて11名の参加者とスタッフ(みなとさんともう1人)とプロゲーマーのガフロさんが。
簡単なレクチャーを受け、早速作成に入ります。
参加者各員にはボタン除いて、全ての材料&工具が配布されていました。
思ったよりも必要な工具が少ないのでびっくりしました。必要なのは圧電ペンチとドライバだけです。0から作るの場合はアタッシュケースへの穴あけが必要になるのですが、実はデザインをふくめたこの部分が1番大きな障害になりそうです(今回のワークショップでは既に開けてくれていました。)。

 

自作ヒットボックス(多分アケコンも)の作業の多くはこの(写真参照)配線を作ることになります。単純なケーブルとファストン端子 でできているます。

 

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自作アケコンで最も多くの時間を使う配線作り

ザクッというとボタンをグループ化して、グループ毎にボードのGND(電圧の基準)につなぎ、ボタンから出ているもう一つの端子からボードのそれぞれのボタンに対応する部分に繋ぐということを繰り返して行きます。

この操作により各ボタンごとにループが作成されます。意外と単純な仕組みです。

ボタンは持ち込みも可能ですが三和電子のボタンが販売されていました。価格はすべて定価です。中には普段販売されないような珍しい色のボタンも売られていました。

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様々なボタンが!特にオレンジ系は珍しいらしい。


初めは、作業がおぼつかないメンバーですが次第に操作にも慣れ、スピードが上がっていきます。

最終的にはほぼすべてのメンバーがヒットボックス風コントローラを完成させました。(完成させていないメンバーもあと1つか2つの配線をつなげば完成と言う状態でしたので自宅で完成させたものと思われます。)

 

 

 

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ついに完成した自作アケコン!

最後は自分で作ったコントローラーを使って対戦会を行いました。自分で作ったコントローラーで動かすといつもより楽しさが増したような気がします。

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総じて今回のイベントはとても楽しいものでした。次回開催は未定との事でしたが、ヒットボックスに興味があるプレーヤはぜひ参加してみると良いと思います(個人的にはイベント自体があまりにも安いので継続が心配になります。とてもよいイベントなのでもっとしっかりお金をとっても良いのになと思いました)。

GPL academyに行ってみた 後編

注!)筆者は医療系の資格&博士号っぽい何かを持っておりますが以下はあくまで個人的な感想です。

 

前回のブログで書いたような経緯があり、

 GPL academyに実際に行ってみることにしたのです。
場所は、丸の内のオアゾというところ。一般的なカンファレンスみたいな感じで、入り口で参加賞代わりの名札をもらいます。
開始10分程前についたのですが、殆どの人が席についておりました。
受講生は恐らく100〜120名ぐらいといったところでしょうか。参加者の男女比はほぼ半々。年齢は殆どの人が俺より年上だったと思います(40〜60歳代の人が多かった)。
医者が殆どかと思ったのですが(参加案内的にそこはかとなく医者以外はお断り感が出ていた)、思ったよりも多くなく恐らく7割程度(カンファレンスの例に漏れず、名札に最終学位が書いてある)、コメディカルの方が2割くらい、残り1割がその他の職業の方くらいの感じでした。また、話ている内容から推測するに医者の殆どは、内科、小児科領域の開業医の方々で、研究者っぽい人は皆無でした。完全アウェーw

で、GPL academyの創業者であるウィリアム・ショー博士とウェラー・クート先生が2日間がっつり講義するのですが、以下良かったところと、悪かったところを箇条書きにしていきます。

 

 

良かった点

1.Organic acid test(以下OAT, 早朝尿を提出することでCTA cycleとかの代謝の状態を調べる)の理論と各症状とその治療方法については、かなり理論立ってあり、非常にわかり易かった。特にOATの結果は情報量が多すぎて、検査結果の理解がそもそも難しいのだけれどこれなら、専門外の俺でもある程度の解析と治療が可能だなと思った。


2.お弁当&おやつが美味しかった。
お弁当&おやつがグルテンフリーかつオーガニックだったのですが、とても美味しかった。俺が出席した、国内外のカンファレンス飯の中でダントツの一位。

 

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悪かった点

1.根拠になっている論文のエビデンスの信憑性が低め
ゆっくりめの講義だったので、講義を聞きながら出てきた論文を調べたのだけれど根拠になっている論文のevidence levelが軒並み低い。nが少ない(対象患者数)が少ないのと、RCTになっていないのが問題。なので、ほぼ全ての論文が症例報告レベルにとどまっているので、必然どれもこれもIFが低い(まぁ、IFが全てではないのだろうけど)。

 

2.明らかに怪しげなものが混じっている。
まぁ、IgGによる遅延型アレルギーとかのことなんですが。今のところ、まともな機関(AAAAI各国のアレルギー学会とか)とかは全否定してるし、それっぽいEvidenceも全く出ていないので完全なオルタナティブファクトなんですが…
マイコトキシンや、水銀に関する健康被害はWHOが声明出すぐらいのガチさなのでガチの中に怪しいものを混ぜるな危険w
というか、調べてみたら日本語の情報が本当にひどい。試しに「遅延型アレルギー IgG」と「delayed allergy igg」で検索してほしい。真逆と言って良いほど別の情報が出てきます。どっちが正しいかは(めっちゃ正確にいうと、現在のところ正解に近い可能性が高いか)…わかるよね?どうしてこうなったんや…

 

3.エンドポイントをしばし間違っている
これは、この講義に限ったことではなくて医学系の発表のあるあるなのだけれど、症状やOS(全生存期間)ではなくて、マーカーの値の変化でもって改善としちゃってるところが結構あった。例えば、自閉症がよくなりました!とか言っても自閉症の症状ではなくて、OATの結果とかを押し出しちゃう。いや、別に見せるのは別によいのだけれど一番知りたいのはそこではなく患者さんの症状なのですが…

 


今の所、自分の体で何が起こっているかが分かれば楽しいし面白いよね!ついでに自分に必要なサプリがわかればラッキーぐらいの気持ちで使うのが良さそうな感じです。講義参加者には無料のOATが配られるのが早速出してみました。結果は気が向いたらブログに書きますー

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