福島第一原発の視察(見学)に行ってきた。その3 第三者を受け入れる理由

前回

福島第一原発の視察(見学)に行ってきた。その2 - Way to spin the fragment

は福島視察について大まかな流れについて書いた。今回と次回はチェルノブイリと福島から得られた体験の違いについて論じてみたいと思う。

 

まず大事な前提がある。僕は福島についてもチェルノブイリについも「外の人間である」ということだ。


僕は去年の6月にチェルノブイリに行っている。そして今回福島第一原発に視察に行っている。また、バックグラウンドが医療者で研究者であること(加えて僕の出身地)を考えれば、福島の事故について人一倍考えのある人間のように思われるかもしれない。が、むしろ真逆である。というのも、事故が起こったときに震源地とは遠く離れ場所におり、地震にも直面していない。

なので誤解を恐れず言えば、事故の当時私の生活何も変わらなった。事故の重大についても、実体験よりも周りの人間や社会の変容を観察した結果から、間接的に実感している。その意味で、チェルノブイリからも、福島からも僕は等しく第三者であり、観光客である。


チェルノブイリは観光地であった。福島に行った後だから強くそう思う。そして、観光地であるという意味には2つのレイヤがあると思う。

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チェルノブイリのゲート。各種お土産を売っている。



浅いレイヤとはこの記事にあるような、僕らが一般的に意味するようなレイヤのことを意味する。お土産もの屋があり、ツアーがいくつも観光され、ツアーの中で二日酔いが抜けない観光客が眠気眼を開きながらガイドの説明を夢うつつで聞く、そうすることで経済が回っているという状態のことである。
一方深いレイヤの観光地という意味は、もう少し抽象的だ。簡単にいうと「第三者を受け入れる準備ができている場所」のことである。
この2つのレイヤを切り離すことは難しい。なぜならば、「第三者を受け入れる準備ができている」ということは同時に浅いレイヤの観光地であることを許容することに等しいからだ。

 

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人間は非常に多様であり、我々が普段想像している以上に思考が異なっている。故に、その人間がどのようなことを考えてどのように行動をするのかを短い時間で予測することは不可能である。この事実を観光地に当てはめると、第三者を受けいれた場合一定数観光地の人間が望まない反応を起こすこということになる。事実、チェルノブイリでも上記の記事のようなことが起こっているし(ウクライナに住む大部分の人間が望む反応ではないと予想する)、歴史的な遺跡にもくだらない落書きが残されていたする。

では、このような望まない反応を起こしうる危険性を犯してまで第三者を受けいれることにメリットはあるのであろうか?

 

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猫も人間と同じくらいお互いが異なっている




直ぐに思いつくのは、経済的なメリットである。観光客が来ればそれだけ、地元の経済は潤う。特に観光地になった場所が福島やチェルノブイリのように大きな事故を起こしてしまった場所であれば、元あった産業は大きなダメージを受けるので恩恵は大きい。が、恩恵はそれだけなのだろうか?


チェルノブイリに行ったときも、福島にいったときも事故にかかった人たちは口を揃えてここで見たこと感じたことを発信して欲しいと言っていた(福島第一原発ではそうは言いながらもほぼ全面的に写真が禁止だったりするのだけれど)。そしてそれは、被災地に限らない話だと思う。カッパドキアでも、マチュピチュでも、京都でも観光地の人々は同じように話していた。


言い換えると、観光地(と観光地になりうる)の人々は我々観光客が観光地を訪れ、それを誰かに語ることが誰かの利益になると考えているのだ。

それは誰の利益なのだろうか?直ぐに思いつくのは観光地としての宣伝であるが、それであれば未だ観光地でない福島の人々の行動に説明がつかない。
だとすれば、彼らは、「第三者が語ること」がすぐには思いつかない誰か、いまここにはいない誰かの利益になりうると考えているのではないだろうか?


そこまで、考えてチェルノブイリで出会ったシロタさんが生まれたばかりの息子さんを愛おしそうに抱いている姿が思い浮かんだ。そうきっと、観光地の人々はいまここにはいない未来の誰かの利益になると信じて、我々観光客を受け入れてくれているのではないか。

 

 

未来の人々の利益になるというのはどういうことなのだろうか。我々第三者は多かれ、少なかれ訪れた場所について語る。今私がこのブログを書いているように。更に他の人間に伝搬し、時間をかけてさらに広まっていきやがて誰かの元で、別々に語られていた語りの共通項が抜き出されたり、場合によっては差異が強調されたり、アレンジが加えられ(解釈とよばれたりする)ることを繰り返し物語になる。この物語の内容は様々だ。内容によって、歴史と呼ばれてみたり、神話とよばれてみたりする。

この物語の力は強大である。物語は、人々に完成に数百年かかる巨大な建造物を何世代にもわたり作り続けさせたり、紙や電子上の数字さえあれば何でもできてしまうと思い込ませたりする。

 

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というか、ユノバ・サノハリが「サピエンス全史」述べていたように共通の物語(彼は共通幻想と呼んでいる)を作り、それを信じることは人間の力の本質であるように思える。
大きな話のようにも思えるが、身近なところに物語に力が溢れているが落ち込んだとき、なにかがうまく行かなかったときに「別の誰かが立ち上がった話」を聞いて、自身が再度動きだすといった経験は誰にでもあるはずだ。

 

ウクライナのに住む人も、福島に住む人も訪れた人間が、自分たちの場所について語りそれがやがて物語になることを望んでいる。そして、それは未来の人々の為になると思っているからだ。

 

長くなってしまった。次回最後に、未来の人々の為にどのような物語を我々は語るべきなのかについて書いて被災地を巡る旅の締めくくりにしたいと思う。