福島第一原発の視察(見学)に行ってきた。その4 語られるべき物語

前回、

福島第一原発の視察(見学)に行ってきた。その3 第三者を受け入れる理由 - Way to spin the fragment

人が訪れた場所について語ることで物語が生まれ、生まれた物語は未来の人々の為になりうるのではないかと述べた。今回はチェルノブイリと福島について生まれつつある物語について書いてみたいと思う。

 

僕が福島第一原発で、原発の現状について説明を受けるときにとても気になったのが説明の度に「謝罪」が行われたことである。特に印象的だったのが、第2回の記事に書いた事故のあらましについてのムービーの冒頭である。僕は今までここまで映像と音響効果を使った、迫力のある「謝罪」を僕を見たことも聞いたこともない。


そもそも、謝罪とはある主体が別のある主体へ「謝罪の意」を伝達するために行うものである(と少なくとも僕は思っている)。主体が個人の場合も集合である場合もありうるが、主体が集合であり、個人が代表して行う場合、その個人がその集団の代表であるというある程度のコンセンサスが必要だと思う。そう考えると、ムービーの音声は何を代表していだろうか?そして、その音声が事故を起こした主体の代表であるというコンセンサスはあるのであろう?少し考えてしまった。

 

話が少し脇道にそれてしまった。一方チェルノブイリではどうだったかと思い出すと、事故を起こしてしまったことについての謝罪を受けたことは少なくとも僕の記憶ではない。

 

この違い(というかチェルノブイリで謝罪が行われなかった理由)について少し考えてみたいと思う。というのも、この考察を行うことでチェルノブイリと福島の我々第三者が受けとる体験の違いが明らかになるような気がするからだ。
端的には、以下の2つの理由で説明しうると考える。
1.謝罪を行う主体が自分が謝罪を行う側であると認識していない。 
2.謝罪を行う側が「我々外部の人間」を謝罪対象であると認識していない。 
である。以下詳述する。

 

1.謝罪を行う主体が自分が謝罪を行う側であると認識していない。
であるが、福島では今回の視察・見学は全て東京電力によって行われた。故に視察の主催者側が、自身を加害者側であると認識していても不思議ではない。一方チェルノブイリは複雑だ。そもそも、事故を起こしてしまった当時の国(ソ連)はなくなってしまっており、その国の直接的な後継者であるロシアと廃炉すべき原発があり、廃炉を行っているウクライナとは犬猿の仲である。加えて、現在の原発に関わる人間がとても多様であることも(ゲンロン側がそのように見せてくれていたというのも大きい)その原因であろう。つまり、チェルノブイリは事故について説明する主体が多様なのである。
一例を上げると福島の廃炉資料館の運営母体は東京電力である。一方、チェルノブイリ博物館は元々、チェルノブイリの事故の際に活躍した消防士を慰霊することが目的で始まったものである。この違い展示内容にも大きく影響を及ぼしている。
以下の写真は上が廃炉資料館、下がチェルノブイリ博物館である。

 

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福島の廃炉資料館。新しくて綺麗。

 

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チェルノブイリ博物館。美術館の様。


廃炉資料館はおしゃれでさっぱりしていて、わかりやすい。
一方チェルノブイリ博物館は博物館ではあるが、美術館の様でもある。故に、ガイドの解説がないことには上手く展示の内容が理解できない。これは、伝えたいメッセージが複雑であるということの裏返しでもある。

 

2.謝罪を行う側が「我々外部の人間」を謝罪対象であると認識していない

チェルノブイリのツアーに現在、参加する人間の殆どは外国人(確か、ポーランドまたはドイツ人が一位だったと記憶している)らしい。
一方、福島の見学者のうち、外国人が占める割合は1割程度らしい。
上記の謝罪が「同じ大地に住む人間への大地に大きなダメージを与えてしまったことに対する謝罪」であると仮定するならば、同族とみなされていない人間は謝罪の対象外になる。


超簡単に言うと、例えばブラジルで事故が起こったとして、ブラジル人じゃない人間(例オーストラリアの人間とか)が「何で事故なんか起こしたんだ!」ってキレるのは少し違和感あるよねという話。
話を元に戻すと、謝罪があるなしは主な見学対象者を誰にも想定していのかという違いが現れているとも言える。端的にいうと、チェルノブイリは開かれていて、福島は閉じている(内向きだからこそ謝罪がある)。


以上まとめると、それぞれの体験はチェルノブイリは複雑で開かれていて、福島はシンプルで閉じている。

では、それぞれの体験から我々が語る物語はどのような物になるだろうか?

福島の体験から我々が語る物語はシンプルな人間の過ちの物語だと思う。巨大な力をコントロールできると思っていた、そして想定以上のことが起こってしまった。驕ってはいけない。二度とこのような事故を起こしてはならない。そんな物語だ。

この物語自体は悪くないないと思う。この物語を受け取った未来の人々はきっと強く自身を戒めるだろう。

 

しかし、僕は少し物足りないなと思ってしまう。というのも、優れた物語は多面性を持つことで、複数のメッセージを伝えうるからだ。キリストの歩みが贖罪であると同時に、救いの旅であるように。


では、福島の物語は戒め以外のどのようなメッセージを伝えうるのだろうか。

この動画はチェルノブイリの新石棺の作成風景に関する動画だ。

 



チェルノブイリの新石棺は作業者の被爆量を下げるためにすこし離れたところで、組みたてを行い、レールに沿って目的地まで動かすという、世界唯一の技術が使われている。注目すべきは作業者の人たちの表情だ。彼らの表情は誇りと自信が伺える。


僕はこのような表情が福島でも見られ、そして多くの人間に伝わればよいなと思う。
彼らがやっていることは、できるかどうかも定かではない廃炉作業に立ち向かい、未来の人間に安全な土地を返す誇り高い仕事なのだから。

これが福島の伝えうるもう一つのメッセージなのではないだろうか。それは、挑戦と克服の物語だ。

 

未来の人々が福島の物語から学び、自身の奢りを戒め起こり受け事故を未然に防ぐ。それは素晴らしいことだ。だが、それでもいつかは何かしらの事故が起こってしまうだろう。どんなことにも100%ということはあり得ないのだから。その事故はナノテクやバイオなどが関わる、今の我々には事故そのものが想像できないような類のものかもしれない。そして想像できない事故の解決方法は提示することは不可能だ。けれど、立ち上がり方なら伝えることはできるかもしれない。

 

未来の誰かが未曽有の事故に打ちひしがれる。そんなときに、福島の物語を思い出す。その物語が戒めだけでなく、挑戦と克服の物語であったのなら彼らはきっと立ち上がるだろう。俺たちは福島も乗り越えたのだから大丈夫だと呟いて。

そんな光景がどこかであれば良いなと願う。たとえ、その光景が今を生きる僕らが決して目にすることができないはるか未来であったとしてもだ。

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