我々は一人で歩きだしたのか?森博嗣ユニバースの完結作としてのWシリーズ。

今回はWシリーズの魅力を語るの最終回としてS&M, V, 四季, G、百年シリーズを含めての完結作としてのWシリーズの魅力を語りたいと思います。ということを書こうと思ってグダグダしていたら、WWシリーズが出ちゃったよwwwめげずに書きます。ちなみにwwシリーズ第1作「それでもデミアンは一人なのか?」は相変わらず最高に面白いです。

それでもデミアンは一人なのか? Still Does Demian Have Only One Brain? (講談社タイガ)

それでもデミアンは一人なのか? Still Does Demian Have Only One Brain? (講談社タイガ)

 

 


以下ネタバレ全開です。

 

 

 

第一回で述べたように、Wシリーズは森博嗣ユニバースの最新作にあたり、時系列的にも最も後の物語になります。
で、これまでのシリーズを超簡単に要約すると
「真賀田四季という天才が色々やってた」
ということになります。

 

この色々やっていたということがシリーズを通してのポイントなのですが、この色々やっていたことについて各人がそれぞれに思考を巡らしているわけです。真賀田四季というのはまぎれもない天才であり、彼女がやることには必ず意図があると皆考えています。ですので、その思考を理解することで世界で起こっていること、これから起こることを理解しようとしているようと作中の人々(の一部)は必死なわけです。それは、あたかも神の啓示をまつ信者のようにも見えます。ここで面白いのが、シリーズを通して読むと読者もその構造に飲み込まれるということです。S&Mシリーズや、Vシリーズでこそそのテイストは控えめですが、中心となるエピソードで真賀田四季は決定的な役割を果たします。Gシリーズはシリーズを進めるに連れ、Gシリーズのエピソードそれぞれが真賀田四季が作ったグループ(または彼女を慕う人々が自主的に作ったグループ)が何らかの意図を行っている工作や行動の断片を見ているとうこと読者を気づきますし、百年シリーズなんて超ザクッと言うと真賀田四季が作った遺跡のようなものを主人公たちが訪問をする話です。

 

 

ですので、シリーズを通しての最大の謎は「真賀田四季は何をしたのか?なにをしようしているのか?」になるわけです。
ですの、「人間のように泣いたのか?」のクライマックスでのハギリの

 

「これから、どうなっていくのでしょうか?」僕はさらに尋ねた。「人工知能は、人間社会にとって、どんな存在になるのですか? 博士の共通思考とは、どのような未来を想定しているのですか?」

「人類と人工知能の未来が、私は心配です」僕は言う。

 

という質問は読者の声の代弁でもあるわけです。
それに真賀田四季は華麗に切り替えします。

 

「私は、料理が冷めないか……」マガタは、まだ微笑んでいる。「そちらの方が心配です」

と。おいおい、また煙に巻かれちまったよwとという感じですが彼女は続けます。

 

「一流の料理人は、どの料理がどれくらいの時間で冷めるのかを計算して、また、客がどんな順で料理を食べるのかにも気を遣っているものです」マガタは、 澱みのない口調で話した。「けれど、 厨房 から料理を出してしまったら……」そこで、彼女は両手を広げて、上に向ける。「もうできることはありません。予想をしても無駄。考えて心配しても無駄。しばらくあとになって、返ってきた器を見ることがせいぜい。では……、そんな彼にできることとは、何でしょうか?」

そうか、もっとさきを見る、ということですか?」僕は言った。「あ、そうか……、明日の 献立 を考える。その準備をする。そういうことですか? でも、それくらい、一流の料理人なら、もう決めていますよね?」 「そうでしょうね」マガタは頷く。 「では……、もっと別のことを、考えるしかない。もっと楽しいこと、もっと自分に相応しい仕事はないか、そんなことを考える。別のことで一流になろうと、転職を考えている。違いますか?」 「先生は、せっかちでいらっしゃる」マガタは言った。「簡単ではありませんか。一流の料理人なのですから、なにも考えたりしません。ただ、ぼんやりと、月夜の空でも眺めましょう」

 

つまり、そういうとなのだと思うのです。真賀田四季は(恐らくは世界がよくなるように)、さまざまな活動を行った。Wシリーズの時点ではその活動は一定の成果をあげて、終了しており、その結果を見守ってる状態。そして、これから先の世界の行く末については真賀田四季自身にも予想がつかない状態だと。しかしこれは、ある意味登場人物と読者に対する裏切りのようにも思えます。なぜなら、彼女は全てを計算づくで、全てを知っていると思っていたから。彼女にとっての未来とは設計するものであり、偶然に身を任せたり、どうなるかを観察するようなものでないと信じていたから。
この気持をハギリが代弁しています。

 

いったい、僕たちはこれから何をすれば良いのか。  
導かれたい、と思っていた。誰もがそう思っているだろう。  
しかし、天才は手を差し伸べてはくれない。

 

僕はここでアーサーCクラークの幼年期の終わりを思い出しました(というか、Wシリーズ自体が幼年期の終わりのオマージュというか、アンサーみたいなものだと思います)。
 


何と言っていた?  
彼女の言葉を、思い出した。  
そして、僕は立ち上がった。  
そのまま前に歩きだした。

 

 

ハギリは一人で歩かねばならなことを自覚し、歩きだします。
Wシリーズの一作目に「彼女は一人で歩くのか?」に繋がる綺麗なクライマックスだと思います。

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最後に、少しだけ。一人で歩いていた人類がどうして、何とかやってこれたのか?wシリーズ内(9作目「天空の矢はどこへ?』)で言及しているシーンがあります。私の最も好きなシーンですので、そこを最後に引用しようて終わりたいと思います。

 

これは、この地球環境にもいえることだ。
よくも暴走せず、多くの生命が絶滅せず、生き長らえたものである。
奇跡としかいいようがない。  
この世に神はいない。幸運だった、と神に感謝したいところだが、そうではない。僕が想像できるのは、ほんの小さな個人の小さな意思が、そのときどきで判断し、小さな悪を避けた結果だろうということだ。

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