生きるとは自分の意思で選択をするということ。 仮面ライダーアマゾンズ S1-S2 感想

最近本業が忙しすぎて全然旅に行けていません。ドローンを最後に飛ばしたの半年以上前ではないかねー
ロシア、トルコに行った記事も記事は書いたのだけど、写真選びの段階で止まってますw
というわけで、感想記事でお茶を濁す。

元々ライダーは好きで平成ライダーは大体見てました。が、流石に10作以上続くと文法にもストーリーにも目新しさがなくなるのでいつしか、追わなくなっておりました。

そんなか、Amazonプライムのオリジナル番組として仮面ライダーが選ばれたとのニュースが。タイトルもその名も仮面ライダーアマゾンズ!

ネタかよ!と突っ込むたくなるようなタイトルなのですが、名作でした。なんというか、シーズン1,2見終わった瞬間、色々持っていかれる感覚になりました。この感覚はシーズン1だけを見終わった時の感覚とは違って、いろんなものが腑に落ちた結果だと思っています。以下ネタバレ全開なので、未視聴な方はできれば見てから読んで下さい〜
(とここまで書いて10ヶ月ほど放置していた)

 


見終わってまず感じたことは、どうして最後の美月の「生きて」
というセリフがここまで響いたのということだった。ありきたりなセリフだし、重要な場面ではよく聞くセリフだと思う。ただ、これまでみたどんな作品より俺には響く「生きて」だった。

f:id:s_s_satoc:20180526212741j:plain

 


それはなぜだったのか?少し考えて思い至ったのは駆除班福田がマモルに言った「違う復讐にきたんじゃない。悔やんでいるのはお前を撃たなかったことだけじゃない。引き止めもしなかったこともだ。強引にでも。」というセリフだった。

これはシーズン1の終盤アマゾン達と去っていくマモルに対して駆除班が行なった行動のこと指している。あの時彼らが取った選択肢は一見マモルを駆除しないという選択肢をとったように思える。けれど、実際には選択をしないというという選択肢だったのだ。決められない、わからない。ので、手を引く。


実際の世界でも往々にしてこのような事がある。選択を行わなくても、時間は流れるし、物事は流れていく。

実は福田があの瞬間に何も選択しなかったということは、「マモルを生かす」という選択したこととあの時点では外からは区別がつかない。誰がどんな選択をしたのか?という問いに答える(推測する)には行動で判断するするしかないからだ。

そしてマモルも、もしかしたら福田自身も自分が何も選択しなかったことに気づいていなかったのかもしれない。

が、時間が経過することで言い換えるとなら、行動が積み重なることで福田もマモルも福田が何も選択しなかったことに、自覚的になっていく。そして、マモルはこう思ったのだと思う「福田は、駆除班は自分と関わらないことに決めたのだ」と

愛の反対は憎しみではなく、無関心とよく言う。何も選択肢しなかった、できなかったということが、実はマモルにとって1番残酷な選択肢だったのだ。

福田はそれに気づいた。だから、2度目はマモルを殺すことを選択したのだ。マモルと関わることを決めたのだ。

この選択があったから、最後の美月の「生きて」が響いたのだと思う。
彼女もシーズン1の最後で悠について、なにも決めることができなかった。

だが、彼女が駆除班と違ったのは恐らくその選択に自覚的であったことだ。故に、悠(アマゾン)と関わることを決め、駆除部隊に入りどちらの選択(殺す、生かす)も採れるようにしていたのだと思う。

そして、美月は深く考えた上で自分の意思で選択をした。「生きて」と願った。
だから深く響いたのだろう。

振り返るとアマゾンズはS1で何も決められなかった主人公達(鷹山は除く。彼は常に一貫している)が、S2でそれぞれの決断をする物語だったと思う。これはこれで綺麗に終わっていると思うのだけれど、その決断がどのような結末を迎えるのか、興味がないと言えば嘘になる。
久々に映画を見に出かけようと思う。

f:id:s_s_satoc:20180526212822j:plain