外側の視点から格闘ゲームのプロライセンス発行について思うこと。

 

 

はじめに

去年の年末から一部のゲームについてプロライセンスを発行するということで、それを巡って様々な物議がなされています。

経緯やどんな精度なのか、どのような人達がことを進めているのか?などについては以下の2つのブログがとても纏まっているように思います。

 

 

なのでどのような制度なのか?とかは議論しないし、制度の是非についてもここでは語りません。

 

 ただ昨日のtwitchでのウメハラさんがやった座談会(内容というよりもあのようなことをやったこと自体に)にとても悲しく、がっかりしてしまったのでその理由を書き留めたいと思います。

 

 

 

書いたのはどんな人か

筆者はどんな人かというと、ゲームとは全く関係のない仕事をやっています。世間的にはアカデミックで固い感じだとカテゴライズされていると推測します。

格ゲーについては好きですが、超弱いです。主にギルティをやっていて、10段くらい。唯一でた大会が去年のEVOです(かろうじて一回戦だけ突破しました)。才能がないと思われますw

 

元々ゲームはFPSなんかをチョロっとやっていたのですが、弟にそそのかされて格ゲーを初めその面白さだけですがコミュニティの怪しい魅力にも惹かれていきました。

 

 

格ゲーコミュニティの特異性と先進性

一言で言うとアウトロー達が自分達の手で試作交互しながら作り上げていく実験的で新しい場といった感じです。

 

私は主に配信でそのコミュニティを知ったのですが、そもそも私が配信を視聴しだした2013年頃にゲームで配信を行いそれをマネタイズしようとしていたことがとても先進的です。この試みを最初に始めたのが、総師範kskさんという方でで格闘ゲームの動画配信をそもそもwinnyでやっていたというからその先見性には驚くばかりです。

つまり、格ゲーコミュニティは2000年代の半ばから今日では当たり前になった、動画や配信で稼ぐという方法を模索していたことになります。

 

格ゲーコミュニティは外にいる私からみるととても特異な場所のように思えました。というのも、普通ならお互いがお互いのことを嫌らっているオタクとヤンキーがゲームというツールを使い仲良くなり、コミュニティを作りそこから新しいものを生み出していたからです。さらに驚くべきことに、そのコミュニティは国境を越えて大きなものになりつつあるように思えました。

 

考えるに、この特異性が上記の先進性を生み出していたのではないかと推測します。格ゲーコミュニティはオタクカルチャーとストリートカルチャーの交差点だったのではないかと思うのです。そこにはある種の危うさを持った、鈍い輝きがあったように思います。

 

オタクとヤンキーは真反対のように思えますがさらに大きくカテゴライズすればアウトローということになります。そして、2015年以降このアウトロー達にスポットライトが当たって行きます。

 

e-sportsという光

そのスポットライトの名前はe-sportsという名前でした。2015年のカプコンカップの賞金が1500万円ととても高額だったのですが、これを皮切りに大きな大会の賞金が軒並み上がりました。また、この前後から有料チャンネルでの配信も増え、企業からスポンサードを受けるプロゲーマーも次々に出現しました。中には一般書を出して、ベストセラーになるウメハラさんのようなスーパースターも出現しました。

 

私はこの変化を初めとても喜んで見ていました。というのも、私は彼らはその独自のコミュニティから新しいものを生みだし発信していたクリエイターであると思っており、生み出したものに対して報酬が低すぎると感じていたからです。

 

ですので、私は今でも基本的にはゲーマーが配信でお金を稼ぐことも、賞金の高い大規模大会が開催されることも賛成です。彼らには相応の報酬を受け取る才能と資格があります。

 

 

何が悲しいのか

 

私ががっかりしたのはそこではないのです。

 言わば、

反抗的だけど芯はしっかりしていたアウトロー達が、学校の先生にうまく懐柔されて「みんな先生の言うことを聞こうぜ!」と突然言い出したがっかり感

みたいなものです。

 

正直 JeSUがどんな団体かはまだよくわかりません。もしかしたら、良い団体なのかもしれません。が、以下の2つの理由でよくある利権団体というかシステムなのだろうなと推測します。

 

1.代表者の顔がよく見えず、代表者の中に唐突に政治家の名前がある。

ぶっちゃけ代表者の殆どは私にとっては「知らんおっさん」です。頑張って、コミュニティを作ってきた人ではないように思います。そして、誰が何の責任を負うのかよくわかりません。

 

2.形だけの議論を行い、議論を行ったかのように形を整えその正当性を出張する。

これが2018/02/18のウメハラさんのやった座談会に当たると思います。

ガチで議論をするのなら、当然反対している木曽さんやももちさんを呼ぶべきです。そうでないのならやる意味がありません。当たり障りのない身内を呼んだ議論(っぽい何か)はプロパガンダに過ぎません。

 

 

ですので俺には独自で面白いことをやっていたコミュニティがよくある日本のシステムに吸収されていっているようにしか見えないのです。そしてその先に新たな創造があるとも思えません。何より悲しいことは殆どのプロゲーマーと呼ばれる人たちが、そのシステムに組み込まれることを望んでいるように思えるからです。自分の頭でしっかり考え、行動しているのはももちさんだけのように思えます。

 

確かに日本にいる限り、コミュニティを今以上の速度で大きくするにはsportsとして明るい場所に引きずり出してシステムに組み込むこの方法しかなかったのかもしれません。でも、この格ゲーコミュニティという特異な場はそもそも明るい場所で生まれたものなのでしょうか?

 

 

私にはあの怪しくも、鈍い輝きは今はもう見えません。

 

 

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