下町ボブスレーに思うこと

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ということで下町ボブスレーがワールドカップで使用されない見込みということで一部で話題になっています。

 

実は小さな町工場の匠の技を持つ職人たちが世界的な企業と肩を並べてトップレベルに挑戦する企画であったが、実は多額のお金が動くPRに過ぎなかった。そして、本当の下町ボブスレーはジャマイカチームが日本のソリに代わって使用したラトビアの工房だったのではという大どんでん返しになっています。

【追記あり】「下町ボブスレー」案件に見る日本の技術力の衰退と手段の目的化という本末転倒、質の悪さを棚に上げジャマイカに損害賠償請求も | BUZZAP!(バザップ!)

 

俺は科学者&エンジニアの端くれなので、考えることははひとつでものを作るの挑戦だったのならば、またやればよいってことです。

 

何かを作っていきなり上手くいくことなんて稀です。何度もした結果の果てに成功(というか、一応自分なりに納得のいくプロダクト) があります。

 

なんで、挑戦なら成功するまでやればよいわけです。そして、本物のエンジニアなら性能的に劣ると評価されたときに思うことはたった一つで「悔しい」です。

 

契約違反を盾に無理矢理性能の劣るプロダクトの使用を強制しても、エンジニアは恥ずかしいとしか思わないはずです。

そして今回の失敗を検証し次のオリンピックで改良したプロダクトを提供したいと願うはずです。

 

が、ただの挑戦のフリしたプロバガンダならここで終わりになるのだと思います。

 

本当はどっちだったのか?今はわからないですが、4年後には明らかになっているでしょう。

 

あと、全く関係ないんですがこの記事を書いてるうちにボブスレーを体験したくなってきました。年に1、2回目長野で体験会をやっていみたいなので、空きがあれば参加したいなと思います。