仮想通貨は世界を変えるのか?

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仮想通貨について連続で書くのも今回で一旦終わりの予定です。
前回から一週間位時間が空いたのだけれで、その間も順調に仮想通貨相場全体が下がり続けている。さらに言うとこの間に、テザー社がとんでもないインチキをやっていたのではという疑惑も発覚し、

coincheckがハッキングに合ったのも遥かに昔のように思える。ともかく、何もかもが早すぎる。


さて、1回目の記事では通貨も仮想通貨もその背後にあるものが違うだけで、共に共同幻想なのではないかと言う話をした。

続く2回目の記事では同じ共同幻想でありなら、仮想通貨が一般の通貨と同じように強固に信じられるにはストーリーが必要なのではないかと考察した。

 今回を以上を踏まえて、coincheckハッキング事件の顛末が過疎通貨の未来にとってとても大事であること、そして俺が仮想通貨に何を期待しているのかを論じたいと思う。

Coincheck事件は2017/02/02現在NEM財団がハッキングされて盗み出されたNEMを特定トラッキングしており、トラッキングされているNEMは事実上換金も使用も不可になっている。加えて、盗み出されたNEMはさらに複数のウォレットに配信されている。実はここまでの流れは、2ちゃんねる創始者のひろゆき氏が予想した通りになっている。
氏の予想は、さらに複数(大多数はハッカーとは関係のない一般のアカウント)の人間のウォレットにNEMを送りつて多数の人間のウォレットを使用不可能にする。
使用不可になったウォレットの参加者からは当然不満が出るので、その不満から止む得ず、トラッキングされている(盗み出された)NEMを使用可能になってしてしまうのではないかというものである。

というか、ハッキングされたNEMをブロックチェーンから切り離せばよくね?という話だが、これは技術的に不可能らしい。がトラッキングができているのだから、使用されるNEMがハッキングされたものであるかどうかは使用直前にわかるはずだ。

 

そして、特定ができる以上俺は今後どんな不満が出ようとも絶対に盗み出されたNEMを使用可能にしてはならないと思う。

 

というのもこの事件の解決において、犯人を特定することにあまり意味がないように思うからだ。

 

一般的な窃盗事件の場合、事件の解決は犯人を特定し、可能ならば窃盗したものを返却させ、加えて犯人に罰を与えることで事件の解決とする。そして、その罰を見せしめとすること犯人本人と周囲の人間が同じ罪を犯さないように求めるというのが現在のシステムだ。

 

しかし、このシステムが不完全であるのは明らかである。なぜならば、未だにこの世から窃盗がなくならないからだ。つまり、盗むというリスクを上回るベネフィットを得ることができると考える人がいるからである。

 

言い換えるなら、盗みを防ぐのに罰というリスクを与える方法では不完全であると言える。盗みをなくす方法があるとするならば、それは盗みのベネフィットをなくすことなのだ。

 

その意味で仮想通貨は盗みをなくしうる。それは、盗むことは不可能にするという意味ではない。どんな暗号でもセキュリティでも破る方法は必ずある。そうではなく、盗まれた瞬間、価値として使用できないようにすればよいのである。そうすれば、盗むことに意味はなくなる。そして、この方法は暴力を行使する必要がないとうい意味でもより好ましいと考える。

 

現在の通貨システムは明らかに不完全だ。通貨はあらゆる方法でハックされ、例えば証券会社や銀行が横抜きをしてそのお金でギャンブルを行なっても法的には問題がない。

そして、仮想通貨システムも今回の一連の事件で露呈したように全く完全ではない。けれども、何度も手直しをしたその先に今より少しだけマシなシステムがあるような気がするのだ。