仮想通貨に足りないものは何か?

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昨日の記事の続き

 

昨日の記事ではぶっちゃけ、現在の通貨(株)も仮想通貨も実は同じように怪しいものであり、その違いはその「信用」のバックボーンが違うだけなのでは?という話をした。

 

では、これを踏まえて仮想通貨が次の価値として普及するために必要なものは何かということを少し考えたいと思う。

 

昨日も述べたように、必要なものは論理的な正しさ、公平さではないように思う。それは、今のお金が正しくも、公平でもないことから明らかだ。

 

では、何が大事なのか?ユヴァル・ノア・ハラリは「サピエンス全史」の中でこう述べている。

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

 

『貨幣は多くの場所で何度も生み出された。その発達には、技術の飛躍的発展は必要ない。それは純粋に精神的な革命だったのだ。それには、人々が共有する想像の中にだけ存在する新しい共同主観的現実があればよかった』

 

この一文は端的にお金の本質を表している。お金は共同幻想なのである。

例えば1000円があれば牛丼屋で牛丼が食べれるし、中央線に乗って中野から御茶ノ水に行くことができる。そしてそれは明日でも5年後でも変わらないだろうとみんなが思っている。

だが、これは実は誰が保証していることでもないのだ。

 

確かにバックには日本政府があるし、ある程度コントロールしているように思える。が実際は昨日述べたように、日銀はやりすぎなくらいにお金も刷りまくっている。刷りすぎると何が起こるか他の国の例を上げると、ジンバブエなんかでは思いっきり失敗をして、ハイパーインフレになった。加えて日本はすごい勢いで借金が増えていて、債務残高(GDO比)がぶっちぎりの世界1位である。そして、債務残高は増えて行くことが予想されている。

 

そんな国が発行しているお金なんて常識的に信じられないけど、俺たちは皆で「何となく」価値が保証されていると考えている。これが幻想でなければ何なのか?

 

逆に考えると仮想通貨に足りてないのは共同幻想であり、わかりやすく言うと大多数の人間の「何となく」なのだ。

 

この「何となく」を得るために必要なものは何か?当然技術的に信頼できるものであるとが必要だ。しかし、それだけでは絶対に足りない。何故なら大多数の人間はブロックチェーンの仕組みなど理解できないし(しようと思わないがより正しい)、故に技術的に信用できるものか判断できないからだ。

 

ここで参考になるのいわゆるブランドだと思う。例えばあるブランドのロゴがつくとただの財布が10万円以上する。確かによい物かもしれないが、1万円の財布の10倍の性能があるわけではない。が、一部の人間はその値段を「何となく」納得し、実際に買う。

 

ここで、ブランドがやっていることはストーリーの販売である。例えばサイトには1880年創業とか、ある女優の要望で特別に注文したものが今の商品のベースになっているとか、熟練した職人が一日に作れるのは3個までとか書いてある。

 

顧客はこのストーリーを信じ、それにお金を払っているのだ。

 

ストーリーの力は本当に強く、本質が判らない人間にも価値を無理矢理信じさせうる。そして多くの人間が信じたものは共同幻想となる。

 

言うまでもなく、国家(政府)にもその国家毎のストーリーがある。それは歴史と呼ばれることもある。このストーリーが国家の信用、さらに言えば国家そのものという共同幻想を作る上で重要なのは間違いない。

 

今、仮想通貨に決定的に足りないのはこのストーリーではないだろうか?その意味でも、今回のNEMのハッキングは仮想通貨の今後を占う上で大事な事件だと思うのだ(更に続く)