知りたいはどうして起こるのか?

 

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サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

 

遅ればせながら、サピエンス全史を読んだ。とても読みやすく非常に面白い内容だった。ただ、筆者の個人的な意見と学術的に証明されていることの境界が分かり難い点が気になった。

 

特に各方面で話題になっているのは、ホモ・サピエンスが他の人類と大きく違うのは共同幻想を信じることができたことだというユヴァル・ノア・ハラリの見解である。これは確かに非常に腑に落ちる意見だが、個人的に最もimpressiveだったのはヨーロッパ人がなぜ他の大陸を植民地化することができたのかという話である。

 

本文からの引用だが
「主な要因は、植物を求める植物学者と、植民地を求める海軍士官が、似たような考え方を持っていたことだ。科学者も征服者も無知を認めるところから出発した。両者は、「外の世界がどうなっているか見当もつかない」」
とある。


端的にいうと「知らないから知りたいと思った」ということである。

 

知りたい、判りたいたいという気持ちは自分が知らないことを自覚することで初めて起こる。科学革命以前の宗教的な世界観では、宗教により全てが説明されていたので全てがわかっていることにされた。ここには無知がないので好奇心の発現はない。そして新しい発見も、イノベーションも、未知への航海も起こらない。

 

学ぶべきことは多分ここにある。知らないことを知った気になっていないか?身の回りに溢れている日常は本当に当たり前なのか?常に問いかけようと思う。