ひとりの女性が革命家になるまでの物語  〜プッシー・ライオットの革命 自由のための闘い〜

 

プッシー・ライオットの革命 自由のための闘い

プッシー・ライオットの革命 自由のための闘い

 

 

偶然革命家というか、社会運動家について本を連続して読む機会があり、どちらもとても面白かったので感想を書こうと思う。
1冊目 はプッシー・ライオットの革命 自由のための闘いである。
正直プッシーライオットについてはワールドカップの決勝戦によくわからない理由で乱入した集団というイメージしかなかった。

 



このよくわからない要求を含めて明らかになるのではと、期待を込めて読み始めた。


この本はプッシーライオットのメンバーの1人であるマリア・アリョーヒナがロシア正教の救世主ハリストス大聖堂でゲリラライブを行った罪で逃亡の末に捕まり、釈放されるまでの手記である。

 

最初に書いておくとこの本の始め100ページくらいは面白くない。というのもどうして、彼女がゲリラライブを行うことにしたのか?何の為に戦っているのかさっぱり理解できないのである。ロシア語を訳した本なので、言語の問題か?とも思ったがそうでないと途中で気づいた。

 

恐らく彼女は特に大きな志や変えたいことがあるわけではなく、「プーチンムカつくわw」ぐらいの軽いノリでライブを行ったのではないだろうか。その結果は彼女の想像を超えていて、逃げ惑った結果に捕まるのである。俺が理由を理解できないのもある意味当然で、最初から無いものは理解できない。

 

しかし逮捕されたことを契機に徐々にその様子が変わってくる。明らかに文書がわかりやすくなっていくのだ。彼女は刑務所に捕まった後に、刑務所内の不正と戦うことにするのだけれど、その戦う理由も明確で戦い方もスマートになっていくのである。

 

彼女の成長はなぜ起こったのだろうか?
本文を読むと裕福な家の出ではない筈の彼女が、刑務所内でタバコを切らした様子がないことに気づくし、しっかりした弁護士がついているのがわかる。
調べてみると、彼女達の逮捕は不当であるとして相当の支援が集まっていたらしい。つまり、拘留後に知識のある人間との交流をもったのではないか?
また、


護送車で読むための朝刊、ナージャに渡すためのドゥールズの「資本主義と分裂症」(本文p133)


という記述があったり


「彼女、すごく感じ悪いし、私たちには関心がないみたい。ただ座ってレーニンを読んでるだけ」(本文p247)


と陰口を叩かれていることから想像するに収監中にかなりの量の本を読み込んでいると思われる。つまり刑務所という環境が彼女を成長させているのだ。

 

これはとても皮肉なことだと思う。政治犯として収監された女性が、思考を矯正されるどころから、革命家として育っていくのだから。


本書のクライマックスで彼女は刑務所内での非人道的な行為に対してハンガーストライキを行う。そこで、彼女は彼女の行動理由について明文化し自覚するシーンがある。その言葉で本文を締めくくろうと思う。


私はこんなふうに生きていたい
私のうしろにあるのは、それが何であろうと、
自由と真実にまつわるものであるということ。
こうゆうことを口にしたときに、
その言葉が吸い込まれていってしまうような虚しさではなくて。