今だからこそ読んでほしい「正しくも悪くもない、うんざりしない天安門の話」

今回は天安門事件について書いた安田峰俊さんの本「八九六四」を紹介しようと思う。

 

 


1989年6月4日に起こった、天安門事件は近代中国で起こった最大の事件である。民主化を要求したデモ隊のデモに対して、最終的に人民解放軍が投入され数千から1万人を超える犠牲者が出た事件である。発砲や装甲車による介入(デモ隊に突っ込んだ)すら行われたらしい。
「らしい」というのも、中国ではこの事件について語ることはタブーとされており正式な記録がのこっていないからだ(中国のスマホ決済で64とか、8964元とかを入力できないレベル)。


天安門は重大な事件である。しかし、この本が安田さんの本でなかったら私は読むことはなかっただろうと思う。
というのも、本文中でも言及されているが我々の側(自由主義とされている側、古い言い方だと西側)からこの事件について語ったメディアの論調はいつも同じだからだ。それは

 

民主主義は正しい。ゆえに民主化運動は正しい。それを 潰すのは悪い。 (なので、きっと将来いつか正義は勝つ)
(本文中より)

 

というものである。

私もこの紋切り型の結論に「うんざり」していた。結論が一つしかないのならそこから何も新しく学ぶことはない。加えて、今は本当に民主化が正しいとは誰も言い切れない時代になってしまっている。2019年の現在、ポピュリズムが台頭し「正しい」はずの民主主義陣営は混迷を極めている。一方で問題はあるものの(特に少民族問題)、中国の経済発展は続いている(もちろん経済発展だけが幸せの指標ではないが)。

このように感じるのは我々事件に関わっていない人間だけではなく、事件同時に民主化運動に関わっている人物にとっても同じようだ。


「正直、天安門の話で取材を受けるのは、うんざりしているんだ。当時は誰がどんなひどい目に遭ってかわいそうだったか、共産党政権の罪をどう思うか、みんな似たような質問をして似たようなメモを取って、同じ結論を記事に書くだけの話だろう? 最近はあなたのような取材者に会うたびに、『もういいよ。やめとけって』と内心で思ってしまってね」(本文より)

そんな扱いの難しい天安門事件についても「最果ての中国」や「「暗黒・中国」からの脱出」で素晴らしい視点を披露してくれた安田さんなら、新しい景色見ることができるのではないかと期待しながら、本書のページをめくっていった。

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本書は天安門事件になんらかの形にして関わった人間に当時のことについてインタビューを行う形式になっている。
ありたきたりスタイルにも思えるが、
特徴的なことが2つある。
1つ目はあらゆる種類の人間に話を聞いていることである。当時のデモ側のリーダーの王丹やウアルカイシはもちろんのこと、一参加者だった自動車修理工、日本人留学生、果てはデモには参加しなかった人や、取り締まる警察側の人間にまで話を聞いているのだ。
これを行うとことで、当時の状況が立体的に浮かびあがってくる。
特に驚きだったのが、初期は「お互いに」非日常的な状況を楽しんでいたかのように見えるところだ。やがて、それは引き返せないところにまでいってしまい悲劇的な結末を迎えてるしまうのだが。
2つ目は、現在の状況と、それにともなうかなり答えてづらい質問(安田さんがありきたりな質問と呼ぶ「今デモが起こったら、あなたの子供がデモに参加させますか?」に代表されるもの)を行なっていることだ。
これを行うとことで、逆側の視点つまり天安門事件を中心にした視点ではなく、ある人間の人生の一点としての天安門を描く視点を手に入れることに成功しているように思える。言い換えるなら、デモが1人の人間の中でどのように消化されていき、ある人間を変えたのか(あるいは変えなかったのか)を描出しているのだ。

 

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本書を読み進めていくうちに、天安門事件民主化運動のシンボルとしての役目も失いつつあること、しかしながらその息遣いのようなものが、確実に台湾のひまわり運動や、香港の雨傘革命、そして現在の香港デモに繋がっていることがわかる(とくに王丹やウアルカイシは大なり小なり関わっている)。

そのような経緯を踏まえると特に私には現在の香港のデモは、天安門事件リバイバルのように思えてしまうのだ。

王丹はのちに天安門事件が失敗した原因について以下のように分析している。

 

【1:思想的基礎の欠如】  一人一人の参加者が「民主や民主運動についての明確な概念」を欠いていた。結果、明確なイシューを打ち出せないまま広場の占拠が長期化し、運動方針の混乱を招いた。

【2:組織的基礎の欠如】  参加者に対するしっかりした指導の中心や指揮系統が存在せず、途中から運動が四分五裂に陥った。

【3:大衆的基礎の欠如】  学生と知識人だけが盛り上がり、一般国民(労働者や農民) への参加の呼びかけを怠った。また、政府内に存在するはずの改革派と「暗黙の連合」を組む姿勢をとることもできなかった。

【4:運動の戦略・戦術の失敗】  運動を政治目的を達成するための手段として使うという意識が薄かった。デモ参加者たちは学生運動の「純粋性」をひたすら強調し、当局への譲歩や一時後退といった柔軟な戦術を一貫して否定し、弾圧を招くことになった

(本文より)

 

このうち、3は今回の香港デモでは満たしていないように思えるが、1、2、4についてはまさに香港のデモの特徴のように思える。

今の時代、天安門クラスの軍事介入はないと思いたいが、明確な出口戦略がないまま(5つの条件すべて通すのは流石に無理があると思う)デモが長期化していなど、状況が似通より過ぎているのが気になる。彼らが無事日常に帰れることを祈っている。
安田さんの言葉を借りるならば、「大志を抱いた孫悟空の人生は、実は 筋斗 雲 を降りてからのほうが長い」のだから。

 

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