「『21世紀の戦争と平和』&『欲望会議』刊行記念イベントの雑な感想

f:id:s_s_satoc:20190314154907j:plain

 

 

千葉雅也×三浦瑠麗×東浩紀「『21世紀の戦争と平和』&『欲望会議』刊行記念イベント」がとても面白かった。考えたことを雑に書く。思ったより長くなってしまったので今回はブログに書く。

 

live2.nicovideo.jp

 

1.戦争を起こさない為に徴兵制を行うことは是非は。


俺の結論は質問者の方意見(動画3時間59分)とほぼ同じで、あと数十年で人間対人間の戦争は終わると思うので現在は効果があってもすぐに意味がなくなるのではと思う。むしろ、ロボット対ロボットの戦争になったとき(戦争の機械化の割合が増えていったとき)、軽くなってしまった引き金を実感し逆効果になる可能性すらあると考える。ただ、非戦闘員に戦争の実感を与える方法(より一般化して体験を得ずして実感を与える方法。)を考えるのは重要だろう(動画2時間45分)。
また、動画内でも言及されていたけれど(動画2時間25分)、戦争を起こさないためには、互いの交流を図り、引き金を重くするとことがより大事なことのように思われる。日韓関係、日中関係を例に出すと、中国や韓国に友人がいる日本人は基本的にヘイト的な言動を行わない。

 


2.東さんの苛立ち


 今回の放送で何となくであるが、東さんの苛立ちの理由がわかったような気がする(動画1時間30分)。
東さんは恐らく、哲学が力を失いつつあること(その通りの内容が新記号論の巻頭言にもある)、それにも関わらず哲学者がやり方を変えないことに怒っている。もっと言うと、拝金主義がまかり通り、規範を失いつつある現在の状況に哲学者としてだれよりも責任を感じているように思える(動画)。東さんはこの時代にあった新しい思想を考え出すだけでなく同時にそれをなんとか現実社会にアプライしようと行動し続けている人だと思う(だから、著作を書くだけでなくチェルノブイリツアーなんかをやっている。)。だからこその怒りなのだろうと想像する。
 またこの状況を打破すべく、なんとか言葉を紡ごうとしても、当事者性を絶対視してしまうこの時代では公にできる言葉が著しく制限されてしまう(動画4時間26分)。まぁ、やる気なくなっちゃうのは当然だよなと思う。

 


3.家族についての議論


動画内で何度も千葉さんと東さんが議論を交わしているこの動画のメインとも言える内容(21世紀の戦争と平和、欲望会議出版記念じゃなかったんかいw動画3時間27分辺り)
もともとは、ゲンロン0観光客の哲学5章〜7章の内容の発展版みたいな内容。
ゲンロン0読んでなくても、とても面白い内容なので、是非動画を見てほしい。
東さんは個人でも国家でも階級でもない、第四のアイデンティティの主体として家族という概念は必要だと言う。この点については千葉さんも同意見のようである。しかし、千葉さんはその主体を家族と呼びたくないと強く反発をする。
これは三浦さんが指摘されている通り、言葉の色の問題だと思う。家族という言葉に何か強制的かつ密なコミュニュケーションを強要される集合をイメージそれに反発している。
一方東さんはそのようなイメージはないと反論している。確かに歴史的な経緯などを考えると家族に密なコミュケーションを想起してしまう(してしまう人がいる)現在の日本の状況の方が特殊な気がする。ので、東さんの方が筋が通っているように思える。が、ここまで嫌がる人がいるのなら別の言葉でもよいのではないかとも思ってしまう(千葉さんがtwitterで述べていたように「族」とか)。これを東さんが嫌がるのは、言葉の色についてわかっていない訳ではないと思う(あえて知っているけれど無視しているが近い)。言葉の定義に拘っていること、この言葉が哲学用語として一般化した時に最も議論が活発になりやすい言葉を通したいのだと思う。家族(family)についての議論は活発化しそうな気はするが、族(tribe?)についての議論は活発化しそうにない。族に帰属している人が少ないので。

 

 


タイトルと内容の違いは置いておくとして、とても面白い内容の動画だった。土曜までタイムシフトで見れるので木になる人は是非〜
と言うかこのようなアーカイブにする価値のある動画はいつでも買えるようにしてほしい(ニコニコのシステム上難しいのだと思うけれど)。

 

最近読み終わった、我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち 

 

我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち (ブルーバックス)

我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち (ブルーバックス)

 

のイベント見てぇ〜