Wシリーズの魅力をダラダラ語る

驚くほど反響がなかったことにそこそこ傷ついていますがw

色々見なかったことにして書き続ける、森博嗣のWシリーズについて語るシリーズのその2です。今回はネタバレなしでWシリーズの魅力について語ってみます。

 

 

 

1回目はここです。

 

Wシリーズは未来の世界を舞台にしたミステリです。ですが、ミステリと言っても古典的なミステリではなく殺人もほぼ起こりません(そもそも舞台となっている世界では殆ど人が死なないくらい技術革新が起こっている)。ミステリのタイプとしてはQ.E.D.とかC.M.B.とかに近い感じです。この謎解き自体も面白いのですが、それ以外の魅力について書いてみます。

 

1.SFとして面白い

Wシリーズは現在からザクッと2〜300年後くらいが舞台になっています。当然我々からみて未来の世界が描かれているわけですが、その描写がとても今まで体験したどんな本、映画よりリアルなのです。
森博嗣が工学博士で、サイエンス方向に明るいからだと思いますが現在の技術としっかりつながった200年後の世界がそこにあります。俺は専門がバイオの端なのですが、描かれているバイオ技術がどれも100〜200年後に実現していそうだなと感じます。
一例を出すと人類は疾病治療や老化防止のために、細胞を徐々に’pure’な人工細胞に入れ替えます。その細胞には思わなく副作用があったのですが…というストーリーです。俺なんかはこの細胞のエピソードで、2016年に確立されたminiml cell

 


を思い浮かべます。

また、その未来の世界の描写をその次代に生きている人の目から描いているのがその描写がとても上手いのです。


例えば、以下は「私たちは生きているのか? Are we under the BIofeedback? 」の冒頭部の一説です。

 

”ただ迫力はあった。CGではないのだ。どうしてかというと、いかにもフィルムが古くて、CGのようにリアルでも鮮明でもない。もっと近くで見せてほしいと思っても、カメラが寄っていかない。ここぞという場面なのに、カメラの前を人が通り過ぎたりする”

 

とあります。この一文は今を生きている私達には引っかかる一文です。逆ではないかと。ただ、これはCGと実写が見分けがつかなくなった未来においてはこのような感性になるのではないでしょうか?
つまり、作り物かCGかは現在のように映像のクオリティで見分けはつかない。むしろ、鮮明ではっきりした画像はCG だと思ってしまう。そうではなく、そこに人為が入っているのか否かがCGか生撮影によるものなのかという判断基準になっているということです。故にズームもない、撮りっぱなしの映像にかえった迫力を感じるという感性に未来のにんげんはなっているのです。

 

 

2.普遍的なテーマを状況が大きく変わった未来で語っている
作中では、人間とは何か?知性とは何か?生きるとは何か?といった普遍的なテーマが繰り返し語れます。
しかし、例えば生きるとは何か?を語ろうと思ってもWシリーズで語られる200年後の世界では、人類は医療技術の革新により死をほぼ克服しています。そのような状況で生きるとは何か?を語ることは意味がないように一見思えます。
ですが、「死なない」がゆえに死を単純な対比として使うことで生を語ることができない。故に、よりpureに生について語ることができるのです。下記は「私たちは生きているのか? Are we under the BIofeedback?」の一節です。

 

私たちは生きているのか? Are We Under the Biofeedback? (講談社タイガ)

私たちは生きているのか? Are We Under the Biofeedback? (講談社タイガ)

 

 

 

”生命の成立ちは、結局は有機反応の複雑さにあるといえるだろう。したがって、どこからが生きていて、どこからは生きていないと一線を引くことは困難だ。それが正解だと思う。つまり、相対的なものであって、比較的生きている、比較的生きていない、といった評価をするべき事象だということ。しかし、ここで問題になるのは、生きている状態から生きていない状態へのシフト、すなわち死というものの不可逆性である。これは、単にエントロピィ増大の法則として解釈するだけで良いものだろうか。 ペンを立てるのは難しい。ちょっとした振動で簡単に倒れてしまう。しかし、どんなに揺すっても、倒れたペンが偶然立つことはない。滅多にない。ここに確率的な稀少 性というものがあって、これらが多数複合することで、死から生への帰還が不可能と観察される”

 

生というのが連続的なもので、その連続的な流れの中の不可逆的に思える一点として死があったのではないかと語れていています。この発想は死の逆として生を捉えている限りは出てこないものです。
同じように人類以外のnaturalな動物がほぼ絶滅してしまったが故に、人類とは何か?が、人類よりも記憶力にも思考力にも優れたウォーカロン(人造人間のようなもの)、トランスファ(ネットワーク上の凡用AIのようなもの)が存在しているが故に知性とは何か?を明確に語ることができるのです。

以上Wシリーズの魅力をダラダラと語ってみました。

 

次回は(誰も期待していない)最終回。ネタバレ全開でWシリーズの考察と感想を書きます。